決定的な事を忌部神社の神主から聞いた。
「皇室が隠す阿波国風土記を読めば天皇の歴史がわかってしまう。」と!
明治の時代にも現存していた阿波国風土記!それを皇室が隠しているとは!
そして、そのヤバサを証明する事件が、大正天皇即位の記念に建てた徳島県立光慶図書館を戦後、再建したのに、再建翌年に文書ごと焚書された事件!それも昭和天皇が来県する直前(12日前)にそれら阿波国風土記を含む阿波国文庫やモラエスが書いたモラエス文庫も図書館ごと燃やされたのだ!当然、犯人は不明!
(※ポルトガル人のモラエスは日本の歴史も調査し、例えば、明智光秀は織田信長を殺していない、との目撃証言も記録に残していた。武器商人でスパイとも言われている。仲間には出雲にラフカディオ・ハーン小泉八雲がいた。)
※緊急追加
コリトリの話を県外の方から教えられ、不思議に思って調べてたら、トンデモない事がわかってきた!忌部が明治維新にも深く関わっていた事が「鳴門秘帖」が森遠城が舞台だった、とわかったからだ!ただ織田信長、明智光秀、そして徳川家も忌部(エジプト➡ユダヤ➡キリスト➡空海)の血筋の仲間だった、と言う衝撃の事実がわかってきたことからも、その長年、日本史に隠されていた真相が浮かび始めたのだった!
イスラエル大使と剣山の関係は昔から言われていて、わかってはいたのだけど…
そこで下記に順次、まとめていく。なお観光用の剣神社ではなく、昔からの表参道にある剣神社(※実は剣山龍光寺の富士之池本坊別当の剣神社)へはコリトリ橋を渡って荒れた道を20分ぐらい行くと、2つ目の鉄門前が龍光寺の駐車場で、そこから少し歩いた所にあった。
龍光寺の本殿も忌部が作っており、表の紋は蜂須賀の逆卍で扉を開くと中の扉は黄金の菊の紋で覆われ感動したらしい。3千人が泊って護摩修行ができる御堂がある。龍光寺に藤ノ池があるが、剣神社には富士ノ池。この富士ノ池の近くに蜂須賀が命じて作った大きな釣り鐘があるが、鉄の鉱石など鉱物資源が豊富にあった事の証拠、と言うか、剣山全体が鉱物資源が豊富だった、とのこと。滝行のできる場所は以前は自然石で作ってあったが、今はコンクリート製に変わり、山腹崩壊の結果、ここの寺や神社全体がさびれてしまった。
また忌部にも位があって、1番、偉いのは古くから森遠城の所に住み「おきさきさん」(アマテラス?)を祀る「とのい」さん(庄地畠?さらに大元は藤原?石尾神社の辺り?)「とのい」よりずっと格下だが、2番目は蜂須賀の銃剣士を殺して名前を木屋平から松家に変え処刑を免れた安徳天皇を守ってきた平重盛の末裔の松家(まつか)3番目は「梅津」4番目は谷口神社を守る大工の久家(ひさいえ)5番目が南北朝時代に後醍醐天皇を守っていた忌部でない三木家!三木家は、その意味では忌部ではないが、南朝側天皇を守ったことで匿ってあげた一族だったが、当時を知る忌部が亡くなると、いつの間にか、古来の天皇儀式の関連文書を自分たち一族のモノと主張しはじめた本来は忌部でない一族。その証拠に三木家は応神天皇を祀るだけで、忌部本来の「天の日鷲」を祀る事ができない。忌部を背乗りした三木家?(^^;)
新任のイスラエル大使が天皇に信任状を渡し、剣山の本当の剣神社(富士の池がある)を参拝する入口が「コリトリ」!
そこは山岳修行僧らの修行場の入口でもあるのだが、その場所は天皇を信任する意味の「あらたえ」を作る忌部三木家の役割と同じ様な参拝(それも裏の剣神社へ)!その三木家を守る酒屋の天田家にはエジプトからの玉がお墓に!これからすると、天皇はユダヤ系かも知れないが、単にそれもエジプト王族からの信任があって初めて、その権威が認められていた、と言う事!
また、イエズス会が入り込んでからはサンカが国内の鉱脈を開拓していたのをキリシタン黒田官兵衛らがイエズス会に採掘権を渡し、関東・東北地方も阿倍比羅夫らに始まる高句麗(満州・渤海も含む)の関東王国(関東連合)とユダヤ・キリシタンの東北王国も採掘権を渡していたのだった!
それは明治維新の動きを見ても、明白だったように!その替わりに江戸時代の安定が保障されていたのだが、それは徳川家康の「よらしむべし、知らしむべからず」=日本人を幼年期から『見ざる、言わざる、聞かざる』の教育を徹底させた愚民教育政策だったのだ!
ところが、金・銀が無くなっていってることに気づいた新井白石らは金融マフィアらと戦ったが、結局、負けて、その後も大岡越前も追及し、国内の金貸し業(両替商)らユダヤの金融マフィアらの裁判にかけていたが、結局、徳川吉宗ら上司に天上げさせられ、実権を失い失敗した!その100年後は逆に裁判官は金融マフィア側のヤクザ(現代の維新の会)の「遠山の金さん」らが仕切るように変わってしまったのだった!(^^;)
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閑話休題:
大正5年7月24日 大正天皇即位記念として創立、徳島県立光慶図書館と称する。
大正6年6月24日 開館式を挙行する。
昭和20年7月4日 戦災により焼失する。
昭和24年5月3日 徳島県立光慶図書館を再建し、憲法記念館と称する。
昭和25年3月13日 火災により焼失する。
昭和25年3月25日 昭和天皇が徳島へ(昭和天皇の戦後の巡幸リストより)
昭和28年11月3日 徳島県立図書館の開館式を挙行する。
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昭和二十四年五月憲法記念館が建築せられて貴重本はこゝに返ったが、翌年三月天皇御巡幸の直前出火のために館と共に残らず烏有(うゆう)に帰した(=すっかり火災でなくなった)。
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※余談だが、同じような事件がカタカムナ暗殺事件でもあった!(日本の超古代史の歴史書で一般的に偽書とされているカタカムナ文献)
このカタカムナ文献をめぐる事件って、天皇側によるカタカムナ文献隠ぺい暗殺事件では?
~宇野先生も御子息も遺体の確認がまったく出来ないほどに焼け焦げていた…普通の火事ではありえない
(※関連の説明動画へのリンク「魔界の背乗り:カタカムナ暗殺事件の謎とカタカムナ発祥の地を探る」
「第2カタカムナ殺人事件と兵庫県最大のコリアンタウンと古代は須磨も含む長田郷」)
この焚書された阿波国風土記などの中には欧米バチカンと組んで朝鮮から渡来した公家や甲賀忍者や隠れキリシタン大名らによる幕府転覆計画が書かれた吉川英治の「鳴門秘帖」もあったのかも (^-^;
※実は鳴門秘帖の舞台は忌部の拠点の森遠城だった、とわかった!吉川英治も取材に来て「史実に基づいて小説を書いた」と言う。やはり、鉱物資源の探査・採掘・金銀鉄などの製造などに関わった忌部祭祀族(サンカ=忍者=山岳修験僧・白丁)も日本の採掘権を巡り、欧米金融マフィアらと何らかのネゴをしたのだろう!なお、この小説でも治水事業を主に行っていた以西家が徳川幕府よりおとり潰しになっており、阿波から以西郡がなくなっている!このことからも、徳島の現在の八万町や国府町など広大な地域を占めていた以西家も忌部で、鳴門秘帖に書かれている計画の一部の役割を担っていたのだろう。
なお、その阿波国風土記の内容に近いのが、山川町にある山崎忌部神社の地元の人が薦めてくれた「日本の建国と阿波忌部」
阿波歴史民族研究会 会長 林 博章
でも多分、大部分の人は「嘘だろう!」と言い放つか、ドン引きしてしまうだろう。
なお決定的な文書(伊勢神宮の経典:神道五部書)が伊勢神宮から見つかり、阿波忌部氏が祭祀族(神官の宮司)の中心であることがわかった!
※ただ6世紀に内宮は中臣氏(後の藤原氏)に奪われてしまい、現在は外宮の祭祀を司っている、とのこと。
詳細は下記
→※この天皇と伊勢神宮の関係はWikiなどでも「明治天皇が在位中の天皇としては初めて参拝された」 、とある通り、明治維新後に捏造されていた。また出雲大社も以前は杵築大社で、よって出雲大社も明治維新後に杵築大社を乗っ取って新たに作られた新興宗教の神社だったこともわかっている。また初代の神武天皇の神社である橿原神宮も、もちろん明治維新後に作られた事は橿原神宮の公式ホームページでも明記されている!何せ、天皇らは安倍晋三と同じで、明治維新で神社などの施設はもちろん、歴史も捏造しているのでした!
(^^;)
なお忌部は阿波から各地に分散しており、特に航海術にも長けていたので、千葉の安房など関東にも移っている事は有名だ。なお水戸にも天皇の守り人で忍者(?)の忌部がおり、例えば、後藤田正晴氏 も徳島の富岡中学校から水戸高校へ移り、色々、お世話になりながら、東京大学に入学した、とのこと。(後藤田正晴氏の奥さんが阿南の資産家でその関係で大学にもいけたようだ)なお、出身地の麻植郡美郷には「後藤田正晴氏は忌部35代目(?)」などの記述があったのだが、最近、見たら削除されていた!?
徳川ミュージアムでは、水戸光圀こと水戸黄門も忌部の三木家に密かに育てられたことを発見してビックリした!
本当に、後藤田正晴氏は戦争への道を止めるように努力された、政治家の本流の人でした。
なお、そのDNAは長男に引き継がれ、NHKのインタビューでも戦争へと向かう安倍政権を批判されていました。
(※決して水野真紀ちゃんと仮面夫婦の夫、後藤田正純ではありません(-_-;))
まあ、それはさておき、途中、リンクなどを置きながら、
動画を主体に、ネットで天皇の起源を調査しに、あなたも見てみませんか?
まずは全般的な阿波忌部の話から
さてスタート!
日本の建国と阿波忌部
まず諏訪大社の元宮は徳島にあった!?
その血を継ぐ天田氏(余談:木屋平の三木家住宅の下にある天田家の墓石はエジプトから運び製作された芸術品)の案内で、元諏訪大社の大国主命の妻と次男の行方も段々、わかってきた。どうも信濃の諏訪や越の高志(福井・石川・富山・新潟で阿波忌部の高志氏に由来?ちなみに織田信長ら織田氏も忌部)へ祭祀族は移動しているようだ。
それは新羅の神様の発祥の由来を直接、韓国の人から説明を聞いて、干瓢(瓜)から生まれたことがわかり、織田家の家紋が瓜で瓢箪をぶら下げていたことからもよく理解できたのだ。(通常は新羅の王族は卵からと言われていたけど・・・)
そしてイザナミ神社などを探っていくと、そこには忌部神社と空海が!
どうも空海(天孫族の山彦と天神系の海彦が合体した子孫を象徴する名前)が忌部を引き継いでいる?
詳しくは「伊邪那美(イザナミ)神社をたどると」
そこでは原爆開発にアインシュタインと忌部(住友家、三宅家)の関係も?
誰も教えてくれなかった古代史:
佐伯家の空海は新羅の王族だった‼︎
王家の谷、善通寺・有岡古墳群を歩く=王墓山古墳
高越神社の奥の院に蔵王大権現=忌部 空海が守るイザナミ
空海と忌部氏
続 高越山 高越寺 高越神社 忌部氏遺跡の「石」
「阿波忌部の聖地を巡るツアー」峯八・忌部神社・岩戸神社
神話キャラクターゆかりの観光スポット
忌部山古墳
吉野川市/忌部山古墳群 – 徳島県立埋蔵文化財総合センター
阿波の国散歩;忌部神社を辿る
この聖天寺の裏に忌部神社につきものの磨崖仏も!
どうも忌部は元々はユダヤ祭祀族だったのが、
忌部別当 東福寺 忌部と仁和寺
世界遺産 仁和(にんな)寺
第58代光孝天皇と第59代宇多天皇により建てられ、天皇の出家寺だった!
なお慶応3年(1867年)明治維新のさなかの大政奉還の年、第30世 純仁法親王が還俗したことにより皇室出身者が住職となる宮門跡の歴史を終えた。
忌部神社はなぜ徳島市にあるのか
まず入口近くの吉良堂 さらに上に行くと
ここが本当の古代からの忌部神社(忌部神社の奥の院)!御所神社(五所神社とも)
本物のメノラーと同じ7本の神紋!ユダヤの関係?元々はユダヤの祭祀族?
さらには奥の山の方には徳島県最大の磨崖仏も?
式内社(倭(やまと)大國玉神大國敷神社)比定① 倭(やまと)大國魂神社 美馬市美馬町
エリ・コーへン駐日イスラエル大使が徳島に来県された際の歓迎会の様子。
左は、新極真空手、世界選手権準優勝の逢坂先生。
コーヘン氏は、空手五段の腕前。(松涛館だったかな?)
将来のイスラエル首相候補の一人だそうです。
さらに古い忌部のユダヤ神殿?
イスラエル大使も驚いた!
でも徳島県は遺跡調査をしていない。(2014年の時点)
祭祀遺跡編-写真展2
これこそ本物の天の岩戸神社では?
なお、この場所に辿り着くには大変なので詳しくはこちらのページを参照してください
なお、忌部に関しては、下記の研究が専門家らの集大成となっている。
また、朝鮮から日本へのディープな歴史に関しては、ここが詳しいかな?
(^^;)
韓国内の博物館を取材した一連は下記の記事の最後に
by rakusen21
| 2015-01-06 00:14
| 天皇の起源と系譜
|
Comments(4)
Commented
at 2018-06-23 11:43
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
いや、新しい石でした!公開している三木家住宅に車で登る途中に立派なお墓があり、芸術品のようなお墓だったので、何なのかな、と思って、後で阿波古事記の会で知り合いになった天田さん(天田家は元は酒屋で、一時期、三木家で育てられた、と仰っていました)に聞いたら、そういう回答でした。
Commented
at 2018-06-23 12:33
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented
by
予言書
at 2019-01-30 22:19
いつも お世話になっておりますm(__)m

予言書を発見しました、
見ていただけると光栄です。
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