第6弾【皇室ディープ】捨て置かれた残留日本兵と東京裁判に於ける天皇の扱い❣

以下、TweetTVの視聴者Puiさんからの投稿です。
ーーーーーーーーーーーーーーーー引用はじめ
 1945年8月15日 第二次世界大戦(太平洋戦争)終結。
 その約30年後、グアム島とフィリピンのルバング島で残留日本兵が見つかり、2名は日本へ帰還した。
 横井庄一(1915-1997)は満州を経て、1944年に陸軍伍長(最下級下士官)としてグアム島に派遣される。しかし、グアム戦(1944年7月)の翌月『同島で戦死』とされ、日本軍の無条件降伏も知らないまま密林の地下壕で潜伏生活をし続けることとなった。
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 そして、太平洋戦争終結から27年後(1972年1月)に、横井はグアム島の島民によって発見され、同年2月に日本へ帰還した。
 小野田寛郎(1922-2014)は1944年9月陸軍中野学校二俣分校に入校。その後見習士官(陸軍曹長)を経て、情報将校として太平洋戦争に従軍。フィリピンのルバング島に着任する。1945年、日本軍はアメリカ海軍艦艇の艦砲射撃によって撃破され、小野田はルバング島の山間部に逃げ込んだ。そして、1945年8月太平洋戦争は終結する。だが小野田の許へ『任務解除の命令』が届かなかったため、他3名の兵士と共に密林に籠もり諜報活動を続けることとなった。日本では1945年9月に『戦死公報』が出されている。
 1950年、仲間の一人が投降したことから、小野田ら3名の残留日本兵が居ることが判明する。捜索隊が残していった新聞や雑誌によって、小野田は日本の情勢についてもかなりの情報を得ていた。だが、フィリピン政府や日本をアメリカの傀儡政権であると認識しており、満州に亡命政権があると考えていた。
 1974年2月、冒険家の鈴木紀夫がルバング島を訪れ、小野田との接触に成功。「上官の解除命令があれば任務を離れる」という小野田の意向により、翌3月に元上官であった谷口義美(元陸軍少佐)がルバング島へ渡り、山下陸軍大将名の『任務解除・帰国命令』を言い渡した。
 そして、1974年3月、フィリピンのマルコス大統領への投降式を経て、29年ぶりに小野田は日本へ帰還した。
 小野田は帰国の際、「天皇陛下万歳」と叫び、マスコミから「軍国主義の亡霊」と批判をされている。天皇への謁見を断ったのは、「万が一、天皇が謝罪することがあってはならない」というのが理由だった。また、小野田は『日本国政府からの見舞金』と称する100万円と、全国から寄せられた義援金の全てを靖国神社へ寄付している。
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 残留日本兵として、戦後30年近くも密林で潜伏生活を続けていた横井庄一と小野田寛郎。帰国後、直ぐに世情に馴染んで行った横井庄一とは異なり、小野田寛郎は価値観が変貌した社会に馴染めず、傾国を憂い続けた。それはエリート揃いの厳格な家庭に生まれ育った小野田の環境にも所以するところだろうが、上官命令に絶対服従という姿勢一つを取って見ても、陸軍中野学校二俣分校での教育が大いに影響していることが理解できる。
 軍国主義という洗脳。だが、皮肉にもその洗脳があったからこそ彼等は生き長らえたとも言えるのだ。
 誰もが勝利を信じ、死を覚悟して戦地に赴いた。故に、あろうことか敗戦し、生き残っておめおめと帰国するのは恥であるとさえ思っていた。そういう教育(洗脳)が全国民にされていたからだ。
 「恥ずかしながら帰って参りました」とは、横井庄一が帰還した時の言葉だ。
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 一方、小野田寛郎は、陸軍中野学校のしきたりである上官による解除命令や投降式といったセレモニーを重視する辺り、最後までプライドを貫きたかったように見える。
 彼等が置かれた想像を絶するほど壮絶で、孤独と恐怖に満ちた歳月を思えば、国家元首たる者、その責任を被り一言謝罪を表明してもよいところだ。だが、この国には戦争の責任者はいない。
 いったい誰が戦争を起こしたのか?
 「戦争は国家間の合法的な殺し合いであり、兵隊のみならず一般人が被災したとしても罪に問われる者はいない。例えそれが国家元首であっても」──こうした都合の良い偏った思想の擦り込みが軍国主義である。
 東京裁判(極東国際軍事法廷)で昭和天皇は何故、起訴されなかったのか? 
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 それは天皇に戦争責任は大いに有ったが、連合国の最善の利益追求の為、政治的配慮によって裁判を免れたということだろう。
 「朕は現人神に非ず」と人間宣言をされたのであれば、少なくとも人道的見地からしても昭和天皇は退位すべきだった。
 大日本帝国憲法の規定では、天皇は大日本帝国陸軍および大日本帝国海軍の統帥権を有する国家元首、かつ大日本帝国陸海軍の最高指揮官(大元帥)である。
 「昭和天皇は侵略戦争を指揮し、国際法違反を犯した」と言われれば、訴追対象として裁判で裁かれるのが当然の流れだ。
 東京裁判(1946年5月-1948年11月)の被告は28名。内2名は裁判中に病死。1名が精神病により免訴された。残りの25名が有罪判決。内7名が死刑となっている。
 被告は平和に対する罪(A級)、戦争犯罪(B級)、人道に対する罪(C級)に分類され、C級はいなかった。
 1943年10月、中華民国の孫文の息子は、重慶の英字紙『ナショナル・ヘラルド』で「天皇および天皇崇拝を一掃せよ」と論じていた。
 また、1945年6月に作成された中華民国の『侵戦以来敵国主要罪犯調査票』では、日皇裕仁をはじめとする犯罪人が多数選定されている。翌7月、国民参政会は天皇を犯罪人として指名しており、天皇制度廃止を主張。だが、国民党はアメリカの方針と合わせて訴追しないことに決定した。

 しかし、1946年~1948年の文書『日本天皇世系問題』では、天皇は日本の侵略的軍事主義の精神的基礎であるため排除を求めている。
 中華民国以外にも、オーストラリア等の連合国の中には昭和天皇の訴追に対し積極的な国もあった。
 1945年、マッカーサーによる天皇との会見により、天皇の不可欠性が重視されるに至った。
 1946年1月、マッカーサーは「天皇起訴の場合は占領軍の大幅増強が必要」とアイゼンハワー参謀総長宛てに電報を送る。
 1946年4月、極東委員会(FEC)によって「戦争犯罪人としての起訴から日本国天皇を免除する」と合意された。
 東京裁判の証人喚問には前満州国皇帝である愛新覚羅溥儀も出廷し、「すべて日本の責任で、自分には責任は無い」と証言。
 「アジア人のためのアジア」をスローガンに、新秩序を打ち立てようとした日本の野望が大戦の原因であるとされた。
 しかし、「日本の侵略陰謀の直接的証拠は無く、東アジアを支配したいという希望が証明されたに過ぎないから、平和に対する罪で天皇を有罪にすることはできない」という判決理由だった。
 量刑で死刑の判決を受けたのは、東條英機、武藤章、松井石根、板垣征四郎、広田弘毅、木村兵太郎、土肥原賢二の7人である。他16名は終身禁錮刑。禁錮刑20年と禁錮刑7年が各1名であった。
 絞首刑の執行は、12月23日(明仁親王15歳の誕生日)に巣鴨拘置所で行なわれた。
 一方、巣鴨拘置所から不起訴によって釈放された面々がいる。
 1945年A級戦犯として岸信介は第一次戦犯指名され逮捕拘留。
 岸は松岡洋右外相(三国同盟を帰結した)の甥であり、革新官僚たち(国家総動員体制を作った)のリーダーとして目されていた。満州という偽国家の法体系を作り、東條内閣の閣僚でもあった。軍人ではなかったが、青年将校と密接な関係を築き上げていたと言われている。
 また、第三次戦犯指名で逮捕されていた児玉誉士夫(右翼・自称CIAエージェント)、笹川良一(自称大衆右翼・政治家・社会奉仕活動家)、正力松太郎(日本内務官僚・警察官・実業家・政治家、およびCIAの協力者)も釈放された。彼等は全員朝鮮人で、帰化した人々である。
 巣鴨拘置所に収監中、彼等は政財界の者たちとしたたかに人脈を作り、釈放後は戦後の日本に於いて様々な方法を用いて巨万の富を築き上げた。
 戦勝国アメリカによる占領統治というのは表向きの話で、結局のところ朝鮮人による日本背乗りの手助けであったように思えてならない。先の大戦で儚くも散って行った多くの命、英霊が浮かばれることは永遠に無さそうだ。
 だが、此のままの状態でいい訳が無い。兎にも角にも日本人は日々繰り返される洗脳から一刻も速く抜け出し、根本的に精神を叩き直す必要に迫られている。
 学校では決して教えて貰えなかった正しい日本の歴史を学び直し、反日精神病患者と対峙できるだけの力を身に付けて行こうではないか、諸君っ!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー引用おわり
第7弾皇室ディープに続きます。






by rakusen21
| 2021-12-22 14:34
| 天皇の起源と系譜
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