下記のブログに刺激されて、これまで黒田官兵衛の祖先を追ってわかった事を記録として残します。
それはNHKの「軍師官兵衛」の紹介で、軍師とは占い師で、相撲で使うような軍配をもっていて、その軍配の役割を説明していた。するとそれは日時や方角、天体の位置がわかるような仕掛けがされており、天気を予想したり、どういう軍の配置をすれば勝てるか、などの予想をしながら決めていく、とのこと。一般的な祭祀の役割以外に天体観測の技能ももった科学者でもあったのだ。また目薬を広峰神社(陰陽師)のネットワークを利用して大量に売って、その儲けたお金をさらに貸し付けて儲けていった、と言う。今で言う、金貸し業、いわゆる金融業が本業だった、と言うのだ!
目から鱗だった。

さて、さっそく黒田家の広峰神社(牛頭天王:新羅の祖先 地図)に行くと、さらに裏山の白幣山があり、そこを登ると吉備真備が祀っている神社があったのだ。あー、これが本当の祖先だ、と直感した。
黒田家が販売していた大麻(お札)の実体が展示してあった、NHK軍師官兵衛展
ここも百済の後は新羅に支配されていた!空海も新羅の王族だった事はわかっていて、善通寺などの丸亀平野も新羅一族が支配しており、名前は佐伯一族だったけど、ここもそうだったのか!
そう言われれば、国立大阪歴史博物館でも唐から移った新羅にまず九州(倭)が支配され、瀬戸内海経由で大和(難波)が支配された事をビデオは暗示していた。どうも歴史家には共通の認識のようで、一般にはうまく隠されているようだ。
そうそう、九州も呉や越の人達が隼人や熊襲となって活躍していたが、大和の新羅に征伐されていた。その新羅の人達は大分の宇佐や信州の諏訪からも派遣されていた。後醍醐天皇の命で埼玉から派兵された人達も阿蘇ではいた。
さて、まず吉備真備のまきび記念館を見学して、唐の玄宗皇帝や楊貴妃、阿倍仲麻呂らとも会って色々アドバイスを受けたりしてることがわかった。また、楊貴妃一族も日本に逃れてきていることもわかってきた。(※まきび記念館は撮影禁止だったので、庭などを散歩しながらつぶやいた)
こうなると、吉備真備らの祖先の吉備王国の実体をより詳しく知りたいと思った。まず吉備津神社を訪れると、そこは唐の影響を強く受けた神社だった。
次に専門家に聞くと、そこは元々は百済王国だったのが、伽耶(任那)、新羅、百済に分割されてしまったようだ。
なお出雲と吉備王国は一体だったようだ。http://www.k4.dion.ne.jp/~nobk/okym/izumo.htm
(古代吉備王国の栄光と衰亡より)
ただ他の専門家の話からすると、製鉄などのたたら一族ら技能集団の伽耶の人達が各地に住み着いてようだ。(古代出雲『伽耶と日本古代史』の謎(その5)より)(陸奥の真野の草原の歌の謎が解けた!より)
新羅、伽耶と言うのは不思議な国で、自分たちは常に裏に回り、自分たちの天皇を一族から出さず、他の百済や高句麗の王族を天皇にしているように見える。 逆に言えば、昔から裏で表の天皇を操る輩達だったのかも。
そう、裏天皇は壇ノ浦で亡くなった、と言われている安徳天皇を追うと、わかってきた。安徳天皇の医者を堀川家がやっており、元々は京都に住んでいた。
徳島の祖谷に逃げ延びたが、成人になる前に亡くなった、と言う事にして、敵の追手を逃れたが、実際は、さらに山伝いに高知県香美市物部町に逃げ、そこにお墓がある、とのこと。

ちょっと話が発散してしまった!とにかく、裏天皇も含めた天皇一族らはちゃんと日赤や日銀などの天皇ビジネスの一端を担っているわけだ。
それと全く異質の裏天皇も含む日本の天皇支配の仕組みも!(^^;)
by rakusen21
| 2014-11-11 00:36
| この世の闇に巣食う者たち
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