🚨「沸流百済と日本の国家起源」在日代理支配者が必死に隠す天皇の歴史と日本の起源‼😱~日韓地名が明かす古代日韓の実像~🚨「くだらない」の意味と「扶桑(ムクゲ)」が日本の元の名前など‼😱
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🚨「沸流百済と日本の国家起源」在日代理支配者が必死に隠す天皇の歴史と日本の起源‼😱~日韓地名が明かす古代日韓の実像~🚨「くだらない」の意味と「扶桑(ムクゲ)」が日本の元の名前など‼😱

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🚨沸流百済と日本の国家起源🚨


はじめに

歴史から消された「海上国家」の実像を統計的地名考が解明する

(アマゾンレビューの「一介の歴史好き」より)

 これまで、この国の「国史」は、2600年前から「日本民族」という単一民族が存在し日本列島を支配してきたと主張する。しかも当時の朝鮮半島南部は「ヤマト朝廷の植民地」だったと言う。近・現代の「日韓併合」という植民地支配を前提に、「だから古代もそうだった」という歴史認識の裏付けとしてきた。その根拠は「日本書紀に書いてある」と言う。しかし「書紀」は本当に古代の半島と列島の関係を客観的に記述したものだったのか?

 この本の著者は、残された文献史料を、地名学を軸に、考古学、人類学、言語学など多方面の成果を取り入れて検証している。特に「書紀」の300年代の記述の矛盾の中に「日本成立」に関わる隠された史実を浮かび上がらせる。なぜか「書紀」は300年代の出来事を記述する際、今は無き「百済(クダラ)」という国の歴史書をさかんに利用している。しかも、その記事を引用する際、干支(えと)を二運、つまり120年遡(さかのぼ)らせるという改ざんをしている。著者はその作為を見抜いた。そこから「神武」と「応神」、「神功皇后」と「邪馬台国の卑弥呼」がそれぞれ同一人物であることを突き止めた。

 そして著者は、660年に新羅と唐の連合軍に敗れて滅んだ百済以前に、もう一つ別系統の百済、著者の言う「沸流百済(ビリュクダラ)(※後述)」という国が存在したことを実証している。その国は、当時「倭」と通称された日本列島方面にも進出し「九州」や「出雲」などに拠点を築いていた

 まさに半島と列島をまたぐ「海上国家」だった。その植民地の一つが邪馬台国だと言う。邪馬台国は内部抗争で269年に滅び、本国の政権は396年、高句麗の広開土王に攻められ崩壊する。しかしその最期の王、「応神(つまり神武)」はその一族と遺民たちを引き連れて海を渡り九州を経て「畿内」の地で「ヤマト朝廷」を建てた

 「日本の故郷」と言われる「アスカ」という地名は、今では「飛鳥」とか「明日香」とか表記されるが、もとは「安宿(アンスク)」という朝鮮語であり「安住の地」を意味した。「奈良(ナラ)」という地名も「国」を意味する朝鮮語である。

 高句麗や百済という国は滅んだが、それらの国々で育まれた文化は今なお私たちの暮らしの中に息づく。七夕や相撲などはその名残りだろう。

 「日本」という国の起源を知るためには、私たち日本人が「当たり前」と受容してきた歴史認識を再検証すべきだ。なぜなら、それは長い間に刷り込まれた朝鮮半島への蔑視が生み出した、極めて政治的な産物だからである。

 関心を持たれた方は本書をぜひご一読のうえ、私たちの国の歴史を根本から見直していただきたい。

 天皇家の出自だけでなく、物部氏、蘇我氏、藤原氏など朝廷内の歴代有力者、あるいは「源氏」「平氏」という「武家」の出自もはっきりする。また、「武家はなぜ朝廷の公家から蔑まれたのか?」とか、「歴代の武家政権はなぜ朝廷を廃さなかったのか?」といった数々の疑問も明らかになっていくのではないだろうか。

(※)「沸流」は、高句麗の始祖、朱蒙(チュモン)の息子。高句麗を出た二人の息子のうちの長男の名前に由来する。

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上記は下記より引用

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この本について


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書籍情報:「佛流百済と日本の国家起源」~ 日韓地名が明かす古代日韓の実像~

  • 著者: 金聖昊(キム・ソンホ)

  • 訳者: 林英樹

  • 出版社: 成甲書房

  • 発行年: 1983年1月1日(初版)

  • ページ数: 391ページ

  • ISBN-10: 4880860409

  • ISBN-13: 978-4880860404

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 なお現在は絶版となっており、入手には中古本市場(Amazonの中古、日本の古本屋、ブックオフなど)を確認することをお勧めします。

大まかな概要

この本は、従来の日本史観とは異なる視点から古代の日韓関係を考察した歴史書です。

書籍の概要と主な内容

  • 歴史認識の再構築: 2600年前から単一民族が支配してきたとする従来の日本の「国史」や、古代朝鮮半島南部が「ヤマト朝廷の植民地(任那日本府)」であったとする歴史認識に疑問を投げかけています。

  • 沸流百済の役割: 朝鮮半島の古代国家の一つである百済(特に沸流百済)が、日本列島へ渡り日本の国家形成に深く関わったとする説を展開しています。

  • 地名による検証: サブタイトルにある通り、日本と韓国に残る共通の「地名」を手がかりに、古代における両地域の密接な交流や人々の移動を実証しようと試みています。



日本語版出刊に際して


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 この本の題目は日本の国家起源に関するものですが、当初の意図と内容は日本の読者を対象として書いたものではありません。韓国史で提起された沸流百済の脈絡を追跡中、日本列島にまで延びて行ってしまっただけです。したがって、この本ははじめから終りまで韓国史自体の反省であり、韓国の読者に対するものであります。もしこの内容を日本の読者に紹介しようと企図したならば、日本の読者の歴史感情と知的世界に基づいて、他の角度から構成され表現されるべきでありました。本というものは元来、読者と著者の間に共感帯が形成されるべきではないかと思われます。それ故に韓国版をそのまま日本語に翻訳した出版社の初校をはじめて見た時、筆者自身驚きました。何か見せてはならない韓国人の内部問題を裏窓からのぞかれたような心情であります。韓国の読者を説得しようとするこの本が、 果して日本の読者の心像にどのように投影されるかと気がかりさえします。古代の韓日関係は一つしかなかったであろうに、これに対する両国民の歴史感情はお互いに相反してきたのが今までの実情であったからです。

 十余年前のことでありました。東京で五十年以上も農業機械の専門雑誌を出している新農林社の岸田義邦会長(今は岸田義典社長)の御案内で、日本の農村を視察した時、全国到る処に掲示されている市・町・村の地名を見て廻ると、あたかも韓国古代史の中をあっちこっち彷徨しているような錯覚さえ起しました。地名を見る度にそれを韓国語に訳していうと、岸田会長は「金さん、ここは日本ですよ」と言われたほどですから、当時の興奮は大したものであったと思われます。日本古代史の本を買い集めたのもこの時からでした。

 日本という国は私にとっては三十六年間、祖国を強占した以前の敵国であります。しかし日本の地名が契機となって、知的愛情の対象となってしまったのです。

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 このような「親日的(?)」な興奮状態を史学的に表現するならば、「韓国史の延長」から日本列島を見る視角が成立します。しかるに「韓国史の延長」ということは日本史学が最も嫌がる 「反日本的(?)」な表現であります。このような親日と反日の感情的不協和状態こそ韓日古代史学の現状ではないかと思います。どちらの立場をとるべきであるのか?答弁は明白です。

 「対象への愛を抜きにして認識はあり得ない」という上原専禄先生の立場は、学間の根本問題を反省させる指摘だと思います。隣国を歴史的にいじめて来た今までの両国側の主導史観を脱して、実際の事実を追求する知的情熱ないし学問的な愛情が出発点となるべきではありませんか?一切の先入観を切り棄てて、学問の純粋化乃至人間性の回復こそ韓日古代史学の当面の課題ではないでしょうか?

 また、この本はどこまでも歴史を知っているから書いたものではありません。両国で伝えられてきている古代記録の解釈は今までの方式と全く異り得るという一つの問題提起です。今まで実証史学を標榜してきた韓日両国の史学は、 一つの重大な仮説が暗黙の中に前提とされてきました。即ち、古代の韓半島には高句麗・百済・新羅の三国があり、 日本列島には天皇国家があったという前提の下に文献記録を解釈してきました。

 しかし、方法論的な観点から見る時、韓半島における古代三国とか、日本列島における天皇国家は史学上の前提条件ではなく、これ自体が実在したかどうか証明されるべき検証対象であるのです。そしてこれらの実在性は、これらが存在したことからあらわれる記録上の時間的・空間的な連続性が証明されなければなりません。これが証明されない文献解釈は歴史家の主観によって、多様な思考方式がブリズム化される可能性すらなくもありません。率直にいって、今まで韓日両国民が学んできた歴史というものは、実際の歴史というよりも歴史学がつくりあげた解釈の歴史ではないかとも思われます。

 勿論、歴史学における解釈とは歴史学で欠くことのできない必須的な前提です。しかし、ここで追求しようとする歴史は単純な文献の解釈でなく、歴史の主体と時空性という脈路にしたがって解釈しようとする一種の復原の歴史であります。どちらが歴史理解に合致するかは、既存の歴史学的先入観の少ない一般読者の方がむしろ容易に判断できるのではないかと思われます。

 この本は筆者自身が既存の先入観と激しく闘ってきた記録であるといいたいからです。 特に、この研究は今まで歴史世界から姿を消してきた天皇家の前身、沸流百済史をさがし求める一種の歴史探検でもあります。探検には末知の世界に挑戦する真の意味の知的純粋性と勇気が必要でありましょう。たとえこの本が韓国の読者を対象として書かれたものであるとしても、前人未踏の探検の道へ出かけようとする純粋意志面では、日本の読者に対しても何ら異るものがないと思われます。そして既存の歴史知識と比較して、どちらが真の先祖の栄光であったかを虚心坦懐に考えてみようとするのが、日本の読者諸氏に対するかすかな望みでもあります。

 韓国版が出てからちょうど六ヶ月がすぎました。その間、各方面に亘って韓国の読者たちから助言と批判をうけました。その中でも専門的な層では既存の研究成果を充分に反映していないとの指摘がありました。特に日本史部分でこのような傾向がもっと顕著で、これは筆者の浅学非才のせいでもあります。しかし、この本の当初の原稿は私が南アメリカに滞在していた時期に書かれたものなので、関連史料の動員に制約がありました。しかし、筆者の意図は今日の一部の史学著作のように技葉にとらわれて大きな幹を見逃すよりは、先ず幹から見つけ出して古代の韓日関係を全体的に再照明しようとしたのが、この本を書くようになった筆者の信念でありました。このようにして、現在の本の分量は当初の分量よりも二分の一ほど縮小させたのです。

 そして、この日本版の原型は韓国版を直訳したものでありますが、初校校正時に部分的ではあるが、補充・削除したところがあります。日本の読者の理解のために不足だと思われる部分は補足したし、また韓国版で正確でない部分は削除しました。

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 これによる韓国版との差異は全部筆者の責任で、韓国版の翻訳版であっても不正確なところがあることを知った以上、これをそのまま翻訳してしまうということはできなかったのです。

 また、韓国版は横書きなので、原文と引用した文献の脚注をみな同じページに記載して両者の間に有機的な統一を期しましたが、日本版は縦書きであるため脚注を各章及び各節末に一括しました。脚注を参考とするのに少し不便かと思われます。
 日本語版が出るまでに、本書の内容を高く評価して日本語版の出版に力を尽くして下さった林英樹氏と成甲書房の代表 古関周蔵氏に謝意を表します。

一九八三年三月十日 ソウルで 金聖吴



訳者 まえがき


 私はこの本を最初に手にした時、アッと現われるべきものがついにあらわれたと思いました。私はかつて『三国史記」の現代語完訳本(三一書房刊)を日本ではじめて、いな世界ではじめて出したことがあります。
その時、百済本紀 第一の始祖の項で、朱蒙が北扶餘に来て、そこの二番目の王女と結婚して、王位を継ぎ二人の男の子を産んだが、長男を沸流といい、次男を温酢といった。朱蒙が北扶餘にいる時に産んだ子が来て太子となったので、沸流と温酢は将来の難を感じ、母とともに南方に逃げて満山に至り、負児嶽に登って地をトした。沸流は海浜の弥都忽(ミチュホル)を選び、弟の温酢は河南の慰礼城(いれいじょう)に都を定めたが、沸流は弥都忽の地が湿っぽく水が塩からいためた安住できなかったので、ついに恥じて死んでしまった」となっており、また一説に始祖は沸流王となっている。……………朱蒙が北扶除にいるときに産んだ礼氏の子、瑠璃(ルリ)が来るに及んで彼を立てて太子とし、王位を嗣がせるに至った。ここにおいて沸流は弟の温酢に「はじめに大王が扶餘から難を避けて逃げてこちらに来たので、わが母親は家の財産を傾けて国の基盤を開くのを助け、その功労が多かったのに、大王がわれらに世嗣ぎするのを嫌がって国家は瑠璃(ルリ)に属してしまったから、私たちは徒にここにいて鬱々として心を苦しめるよりも、母親を奉じて南方へ行き、地をトして別に国を立てた方がましだ」といって、ついに弟の温酢とともに一族党類をひきいて御水と帯水の二つの川を渡って弥都忽に着いて、ここに住みつくようになった。

 これを見ると確かに沸流が一族党類の総大将であるのに、その沸流が忽然と消えて百済史は温酢の百済史だけになってしまったので、どうしようもない疑問が生じたが、通説がそのようになっているし、沸流の跡を追う資料も見つけることができなかったのでそのままにしていた。

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 それが金聖昊氏が沸流百済の跡をたどって復原し、それが倭の国まで至っていることを本書においてつきとめているのである。私は金聖吴氏の緻密で合理的に既存の『三国史記』と『日本書紀』を一部の史学者のように不信したり、否定したり、恣意的に解釈したりしないで、まじめに読解して対照させているところに敬意を抱いたのである。

 彼には今までのこの方面の専門家が持ち得なかった大きな武器があった。それは地名の研究であった。彼は韓国の十数万の地名を蒐集し研究したのである。彼は農業関係の専門家であったので全国の草深い田舎までも直接足をふみ入れているのである。地名は地上に露出している考古学的資料である。 彼の提出する資料と文献解釈と論理には確固たるものが感じられる。
金聖吴氏は前人末路の仮説を立ててパズルを解くようにきれいに解いて見せている。私はこの研究は一日も早く日本の読者にも提供する価値があると確信した。勿論、金氏の説が現段階において完全無欠なものであるとはいわない。 いろいろと補充したり修正する部分があるかも知れない。それでもこの本は出版する価値があると思った。

 私は早速ソウルの著者のところに飛んでいった。彼は私の所望に対してすぐには首を縦には振らなかった。外国の学者の前に出すには完全ではない。完全なものにしてから日本語版を出したいというのであった。「完全」といっても、どこまでが「完全」なものであるかきりがない。不充分なものがあると感じても韓国版をそのまま直訳して日本の読者に提供するのが率直ではないか。
 また著者一人で完全を期するよりも、ここまで研究成果が達している以上、 これを日本の読者にも公開して、みんなの力で討論をし研究を積んだ方がより完全になるし、その時期も早まるのではないか。とにかく討論のたたき台として日本語訳を出そうと説得して、やっと著者の同意を得たのである。勿論、 著者の日本語版の序文にもあるように出来るだけの修正・削除・補充はしてあるので、韓国版よりは正確なものになっている

 金聖吳氏のこの説はこれまでの韓国史において、また日韓古代史においても革命的な新説であるので、勿論にわかに賛成同調できない諸先生方もいらっしゃると思いますが、賛成するにも反対するにも一応この新説を充分検討して活発な討論が行なわれるように、紹介者として切にお願いする次第であります。

一九八三年三月十五日 林英樹しるす


まえがき


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 古代の韓日関係を記録した『日本書紀』(七二〇年)には、南韓地域が天皇家の領地のようになっております。これに基づく学説が、すなわち日本史学が主張してきた「南鮮経営論(任那日本府説)」で、このような視角から見れば、 日帝の韓半島強占は「侵略」ではなく、昔の地を取り戻した「復古」を意味することになります。したがって日本教科書の歪曲問題は現在の問題であると同時に、古代史の問題でもあります。それにも拘らず、わが国の古代史学界が植民史観の震源である「日本書紀」を研究しないで、日帝史学者たちが書いておいた『三国史記』の歪曲的な解釈方式をそのまま踏襲してきたということは、たとえ意図的なものではなかったにしても驚くべきことだといわざるを得ません。したがって、この研究はたとえ日本史に関するものでありますが、日本史学界の伝統的な態度のように、隣国を苦しめるとか冒漬するためではなく、「三国史記」と「日本書紀』の両方の記録を一元論的に復元することに依って、古代の韓日関係を再照明しようとする韓国史自体の反省であります。

 この小さな研究書ができあがるまでには、たとえ偶然の契機でありましたが、全国の関係地域の踏査と史学の勉強 (大学院)を経て十五年がかかり、この本を書き始めてからも四年になります。その間激励して下さった朴永錫、李英茂、尹孝稷(建大)、金元龍(ソウル大)、千寛宇(国史編委)、朴容填(公州教大)、安承周(公州師大)、白南郁(大有工専)教授に感謝します。またこの原稿を完成できるようにして下さった金甫炫農村経済研究院長、全国の地名研究に目覚めさせて下さった尹勤換農協中央会長、十余年前に百済史の出発点でもあった慰礼城址を訪ねるようにして下さった金栄鎮前農産次官補と李容晩、崔益秀二人の友人の助けがなかったなら、この研究は今日の結実を見ることができなかったと思います。終りに本書の刊行を進めて下さった知文社の呉應根社長と東洋文化印刷(株)の尹炳奉社長、また指導・協力して下さった親知、同僚の皆様にも謝意を表します。

一九八二年 光復節に 金 聖昊



目次


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日本語版出刊に際して
訳者 まえがき
まえがき・・・・

一  緒論 ——韓日古代史研究に関して

1 分離主義史観の限界
2 文献記録と人類学的現象,
3 文献解釈と歴史復原
4 統計的地名考

二 百済初期記録の二重性

1沸流と温酢の南下過程:

イ 仇台 古爾説(李丙素説)の虚構性
口 仇台と沸流の同一性証明・


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ハ 沸流と温酢の建国年度
二 多勿系地名の分布趨勢

2 南下定着地…
イ 海浜弥忽
ロ 漢山負児
八 河南慰礼城

3 漢山(広州)と熊津(公州)
イ 五虎入城と漢山北遷(温祚百済)
口 馬韓遂滅と熊津南遷(沸流百済)


三 沸流百済の実在性検証・

1 国家成立の諸要素
イ 利残国と百残国・
口 統治体制(檐槽魯制)
ハ 領域範囲(五個圈城)…………………
ニ 百済国号考(海上王朝)…..

2 三神伝と沸流百済
イ 衛滿時代 四国の位置比定
ロ 辰系種族の南下過程
ハ 弁辰伝の内幕
二 韓・弁辰伝にかくされた沸流百済
ホ 三韓伝の基本構成

四 邪馬台と天皇国家の起源

1 沸流百済の日本列島進出・・・・
イ 多勿・機魯集団の実体・・・・・・
口 神代紀の復原と邪馬台誕生
ハ 邪馬台の位置

2 邪馬台の歴史的実像
イ 二周甲引き上げ批判と邪馬台紀年
口 反逆女—神功皇后の一生
八 邪馬台社会の植民地的二重構造


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3 天皇国家の起源

イ 邪馬台論争と応神亡命
口 神武東征紀の復原・・・・・・・・・
ハ 同範鏡分有の世界と応神古墳

五 沸流百済とその亡命政権

1  海上国家の建設
イ  建国初期の海上活動
ロ 阿羅伽倻戦闘(二〇九~二二二年)
八 南江流域大長征(神功四十九年条)

2 帯方戦線と七支刀外交…………………

3 百済連合と大陸進出

イ 百済連合と高句麗との南北対決………………
口  遼西経略と揚子江進出
ハ 失われた沸流百済の歴史・・・・

4 広開土王碑文と任那開港

イ 応神亡命と碑文の「後」
口 新羅の為質修交と任那港の開放

5 任那一六〇年史の歴史的推移
イ 任那史の時代設定
口 亡命開港期(四〇五~四八七年)
八 百済郡令期(四八七~五六二年)

6 『日本書紀』と植民史観

附録
Ⅰ 温祚百済の王統系譜
Ⅱ 新羅初期史と朴・昔・金の三姓系譜
Ⅲ 二周甲引き上げの事後処理と倭の五王


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